小グループで聖書を学ぶ
41 待つことは希望(イザヤ64:1〜7)
「心の門を開いて」
前回の箇所で、荒廃した都を見て、嘆いて文句のような祈りをしていました。63:17。しかし、嘆くしかない状況であっても祈ることができるということは、希望につながります。それに続く今日の箇所の祈りがそれを教えています。
「御言葉の種を蒔きながら」
1 帰還した民は、荒廃した都を見て、失望落胆し、喪失感にさいなまれていました。しかし、嘆いて絶望して嘆くしかないの状況ではあっても、祈り求めるべきことがあります。それは、何でしょうか。
・1節/
・詩篇144:5,ミカ1:3〜4/
2 神様が降りて来られるということは、神様の介入です。どんなに状況が厳しくても、嘆くしかない状況だとしても、神の介入を求めることができます。それは、どんな様子ですか。祈る者の問題や困難がどのようにされるというのですか。あなたの言葉で分かりやすく説明してみてください。
3 私たちの人生にも、しばしば問題が壁のように立ち塞がります。ときには、絶望が巨大な山のように行く手を阻みます。そんな時、私たちは、今日の箇所のような祈りをしなければなりません。私たちの神は、天地万物を創造し、支配されている神だからです。イエス様の弟子たちがガリラヤ湖で嵐にあった時、どのようにして助けられましたか。その箇所を読んで、人生の嵐の時にどうしようと考えますか。
・マルコ6:47〜51/
4 私たちは、問題の大きさ、状況の難しさばかり考えてしまいますが、状況の難しさが問題なのではなく、神様の介入があるかが問題なのです。神の介入を求めるためには、何が必要なのですか。それをしないと、どのようになりやすいですか。
・4節/
・詩篇42:11/
5 廃墟を見た人々は、絶望し、喪失感におそわれました。嘆き、悲しみましたが、神様の介入を待ち望まなければなりませんでした。信仰の父と言われるアブラハムが祝福を受けたのは、どんなことがあったからだと言われていますか。あなたは、神様に助けや祝福を願い求める時、自分に何かかけていたと思いますか。これからは、どうしますか。
・ヘブル11:8,17/
・ヘブル6:15,10:36/
6 イエス様が世に来られたことは、まさに困難な世に神様が天を裂いて降りて来られたことです。救い主の来られることを待ち望んでいた人々が、イエス様を迎えました。時代が難しいほど、主を待ち望みます。クリスチャンの場合、天国で主と会うことを待ち望みます。主の再臨を待っています。どのように祈りながら、イエス様を待ち望みますか。
・Tコリント16:22/(脚注も参照)
・黙示録22:20/
7 待つために最も必要な備えは、悔い改めです。この悔い改めには、どんな特徴的な表現がありますか。読んでみて、これまで思っていた悔い改めとどう違いますか。
・5〜7節/
8 1〜3節のような神様の圧倒的な偉大さと御力を覚えたならば、自分たちの罪の性質と姿を知らざるをえません。しかし、イザヤはこう悔い改めることで、神様が降りて来られて、自分たちを取り巻く困難に介入してくださるように待ち望みました。今日の御言葉を学んで、あなたは、どのように悔い改めて、神の介入を願いますか。
9 強制収容所から奇跡的な生還を果たしたユダヤ人精神科医ヴィクトール・フランクルは、収容所という絶望的な環境の中で希望を失わなかった人たちの姿から苦境に陥った時の希望の持ち方について書いています。「私たちは、自己実現が約束されている環境こそが幸せだと思っている。しかし、災害や病気などに見舞われた時、その希望はついえる。収容所はその最悪のケースだ。被収容者にとってもっとも辛かったのは、この状況がいつまで続くか分からないということだった。生きる目的を見出せず、崩れていった。家族愛や仕事への献身など様々な使命感を持って生き、どんな状況でも、今を大事にして自分の本分を尽くし、人の役にたつこと。そこに生きがいを見いだすことが大事なのではないか。どんな状況でも一瞬一瞬を大切にすること。それが生きがいを見いだす力になる」これを読んで、感じることを分かち合いましょう。
「命の実を刈り取ろう」
今日の御言葉から知ることは、環境と生活が難しいほど、人々は、より大きな希望を持つことになるということです。希望を持つことは待ち望むことです。ですから、待ち望む人だけに希望があるということです。どんなに難しい状況であっても、希望を持たない者は、待ち望みません。今日の御言葉は、困難の中で神様の介入を待ち望む信仰を強く教えています。学ぶことから与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。詩篇42:11。
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