小グループで聖書を学ぶ

43 祝福を受けるには(イザヤ65:1〜16)

「心の門を開いて」

 人は祝福や恵みを受けたいものです。神様から祝福を受けるにはどういう姿が必要なのでしょうか。それを知るには、祝福を受けられないのがどのような姿なのか学ぶ必要があります。今日の箇所には、その両方が比較されて教えられています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 預言者イザヤがユダの民のために祈りましたが、その祈りに神様が答えてくださったのが65章です。まず、1節は、どういうことを意味しているのですか。「神様を尋ねなかった者たち、探さなかった者たち」とは誰のことですか。新約聖書でこのことが起こった例も参照しましょう。
・1節/
・使徒13:45〜46/

2 異邦人が救いを求めて神様のところに来るようになり、神様も彼らを迎えてくださるということが教えられています。異邦人にも救いが広がるという祝福です。イザヤの祈り以上に神様が答えてくださいました。私たちの祈りを通しても、そういうことが起こります。自分の祈り以上に神様が答えて、祝福してくださった例をあげてみましょう。



3 祝福を受けられないのはどうしてなのをよく知っておかなければなりません。祝福や恵みを受けられない姿が教えられています。どんなことをしていますか。一言で言うと何をしているのですか。祝福を受けられない民の姿の特徴は、どんな姿だと強調されていますか。
・3節後半〜7節/
・2〜3節前半/


4 頑なな者にも手を差し伸べてくださる神は、立ち返って来る者たちを祝福すると言われました。どんな祝福ですか。「ぶどうの房の中に甘い汁がある」とは、ぶどうが不作であっても、全部腐ってしまうのではなく、甘いものも実るという意味です。この例えの意味から、現代社会に生きる私たちへの適用を考えてみましょう。
・8節/
・マタイ5:13〜14/(参考)

5 腐っているような部分が現代社会に多く見られても、その社会の中で聖徒たちが神様の御前に立って祈り、御言葉に生きることが必要です。9節の祝福は、次の世代から神様が選びご自分の民としてくださるということです。信仰の継承や家族への伝道は私たちの願いです。現実の困難もありますが、選ばれていると信じて祈り、福音を伝えるのです。どんな祝福を願っているのか、分かち合ってみましょう。
・9節/
・エペソ1:4〜5/

6 10節の祝福は、環境の祝福です。どんな所をどのように祝福してくださるというのですか。そこから、どんなことを感じますか。私たちの環境への適用を考えてみましょう。
・10節/
・イザヤ33:9,ヨシュア7:24〜26/

7 最後の部分は、祝福を受ける者の姿と祝福を受けられない者の姿を分かり易いように比較しています。13節の「わたしのしもべたちは食べる。しかし、おまえたちは飢える。…」などという表現がどうして、祝福を受けるか受けないの比較なのでしょうか。食べたり、飲んだりすることについて「神様への感謝」があるかないかで考えてみてください。
・13節/
・詩篇106:1,Tテサロニケ5:18/(参考)

8 14節の比較は分かり易いです。今私たちの心はどちらに近いでしょうか。点検してみましょう。15節の比較は、呼び名の違いです。イエス様の十字架の犠牲が自分の罪のためだと信じて救われた者は、何と呼ばれるようになるのですか。そう呼ばれて感じることは何ですか。
・14節/
・15節, 使徒11:26/

9 神のしもべは、まことの神に祝福を求めます。ただ信仰に生きてこそ、神の祝福を受けることができます。神のしもべは、誓う時も神の名によって誓います。自分が何かを成し遂げようとする時、自分が成し遂げようとするのでなく、神様が成し遂げてくださるように祈ります。あなたは、これからどのようになって祝福を求めていきますか。
・16節/

「命の実を刈り取ろう」

 神様の祝福を受けたので成し遂げられたというのが信仰の姿です。このように生きる時、「かつての苦難は忘れられる」つまり、過去のことで苦しむ必要はなくなります。「わたしの目から隠される」つまり、もう振り返る必要はありません。神様が祝福を与えて導いてくださるからです。どんなに素晴らしい恵みでしょうか。学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いにために祈りましょう。申命記28:2。

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