小グループで聖書を学ぶ

9 開かれた門(黙示録3:7〜13)

「心の門を開いて」

 人は、自分の置かれた状況から自分を判断します。困難な状況にあり、問題が起こっている、自分の力が発揮できない、うまく行かない、特別持っているものもないとなると、どうしても自分を悲観的に見てしまい、自分はだめだと判断してしまうのです。そんな間違った見方に聖書はどう教えてくれますか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 今日の箇所に登場にするのは、フィラデルフィアにある教会です。7節前半。この教会のことを知るには、フィラデルフィヤという都市を知る必要があります。七つの都市の内最も歴史が浅く、最も小さい都市です。東方への重要な道にありましたが、この都市は地震が頻発する地域で、安定した生活はできませんでした。この教会は、はじめから賞賛されています。どのような理由で褒められていますか。
・7〜8節,10節/
・ヨハネ14:23/

2 「わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった」と言われていますが、フィラデルフィア教会は大きくて人も多く力ある教会ではありません。どんな信仰で御言葉に忠実だったと言われていますか。8節からさがしてください。そして、問題の多い境遇の中でどのように生きていたのですか。
・8節/
・ピリピ4:12〜13/

3 主は、この教会のことを「わたしは、あなたの行いを知っている」と言われました。このことばは、私たちにとっても慰めとなります。弱くて、力も少ししかなくても、御言葉に忠実であり、最善を尽くそうとする聖徒たちの姿勢を主は喜ばれたのでしょう。この教会は、すでに勝利の冠も受けています。それをどうするように勧めていますか。何か特別な頑張りが求められていますか。その勧めからどんなことを感じますか。
・11節/
・Tコリント4:2,ルカ19:17/

4 自分がしている御言葉に忠実なことを小さく思わないでください。私たちの頭にも勝利の冠が置かれているのです。主は、少しの力で忠実に御言葉を守った信仰を喜ばれ、この教会に三つの祝福が与えられました。その1つ目は何ですか。そのために、イエス様は何と紹介されていますか。あなたにとって、どんな門が開かれていると連想しましたか。
・7〜8節/
・ヨハネ10:9/

5 人は仕えようとする時、力の少ないことを言い訳にしようとしますが、その力で忠実である時、神様はより大きな力を与えてくださいます。神様は今の力で仕える時に、大きなことを任せてくださいます。人は厳しい環境や苦しい状況で自分の弱さや足りなさばかり考えてしまいますが、パウロの証しから信仰者の姿勢を学びましょう。
・Uコリント12:9〜10/


6 二つ目は、迫害していたユダヤ人についてです。彼らの嘘と偽りで痛めつけられ、苦しめられました。聖徒たちを悪く言い、不利な立場にして、社会でいじめ、迫害しました。それでも、聖徒たちは、ただ御言葉に忠実に生き、誠実に歩みました。その結果、主はどうしてくださると言われましたか。イザヤ書も参照しましょう。
・9節/
・イザヤ60:14/

7 私たちも、この聖徒たちのように歩むならば、私たちを悩ませ、傷つけていた人々と信仰を共にする瞬間がやがて来るということを思わされます。三つ目の祝福は何ですか。ユダヤ人の迫害や地震災害で苦しんでいた教会にとって、どんな励ましとなったと思いますか。自分にとってこの御言葉はどうですか。
・10節/
・/

8 最後の約束を見てみましょう。フィラデルフィアには、度々の地震によって建物が崩れたり、廃墟になったりしていました。地震の復旧のために支援してくれたローマ皇帝に感謝して都市の名前をネオカイザルと呼ばれ、後に別の名に変わりました。それに関連したような二つの約束を調べてみましょう。どんな約束ですか。
・12節/


9 神殿の柱とすると約束は、地震を経験したフィラデルフィアの聖徒たちには実感することができました。少しの力でも、弱くても御言葉に忠実に生きる人が、大切な存在とされ、神に用いられます。神の御名、神の国の名、主の新しい名で呼ばれるとは、神の民、天国の市民となったということです。この恵みにどう応えて生きますか。


「命の実を刈り取ろう」

 フィラデルフィア教会を学ぶことで、人生は環境や状況によるではなく、イエス様への愛と御言葉を守って生きることによると分かりました。私たちは、フィラデルフィアのような教会になりたいと願います。そのためには、私たちを救ってくださったイエス様を私たちの持っているもので誠実に愛し、御言葉に忠実に生きることを祈ります。学びによって与えられた適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。Uコリント12:9。

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