小グループで聖書を学ぶ

なぜ取り乱し、疑いを抱くのか (ルカ24:36〜43)

「心の門を開いて」

 人は、人生において様々な失敗をします。そして、失敗を通して多くのことを学び、成長や達成の過程としていきます。しかし問題は、失敗を敗北と思い、落胆して恐れてしまうことです。最初のイースターの日、弟子たちは、自分たちは失敗した者だと思い、落胆し恐れていました。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 弟子たちは、イエス様に人生の望みをかけていました。それが、あっけなく捕まって、十字架につけられてしまいました。ですから、イエス様を失った弟子たちは、人生に絶望し、自分たちは人生の失敗者だと思い込みました。それだけではありません。自分たちも、捕まえられ、殺されてしまうと恐れおののいていました。そんな弟子たちのところに何が起こりましたか。どんな言葉がかけられましたか。
・ルカ24:21, ヨハネ20:19/
・36節/

2 私たちも、人生の様々な出来事の中でうまく行かず、失敗したと落胆したり、難しい問題のために恐れを抱くことがあるでしょう。そんな時、「平安があなたがたにあるように」という主の言葉を聞いたなら、励まされるでしょう。弟子たちの反応はどうですか。なぜ、そんな反応をしたと思いますか。
・37節/
・出6:9,伝道2:20/(参考)

3 36節のはじめに、「これらのことを話していると」とあります。これらのこととは、イエス様が復活された話です。ざっと黙読して、どんなことか説明してみましょう。これらのことを聞いても、弟子たちはイエス様の復活を信じませんでした。あなたも失敗や挫折の中で信仰が揺れ動き、信仰のない人のようになってしまったことはないですか。
・1〜35節/
・マルコ4:40/

4 イエス様を幽霊だと思って恐れていた弟子たちに、どんな言葉をかけてくださいましたか。人は、失敗し、恐れている時、そのようになってしまうものです。そうなっていることに自分自身は気付きません。あなたは、失敗し落胆し、恐れている時、どうでしたか。
・38節/


5 目の前に現れたイエス様を幽霊だと思って取り乱している弟子たち対して、イエス様は、どんなことを通して復活を理解させようとされましたか。イエス様の復活の体はどんな体なのでしょうか。私たちの復活の姿はどうなりますか。
・39〜40節/
・Tコリント15:42〜44, ピリピ3:20〜21/

6 人生において病気や問題など取り乱し、疑いを抱くことがあるかもしれません。でも、イエス様の復活は、大きな恵みを私たちに与えてくれます。イエス様が死を打ち破って復活されたからです。私たちはどんな恵みを受けていますか。
・ヨハネ16:33/
・,ヨハネ14:27 /

7 手と足を見せられて、弟子たちは喜びました。でも、まだイエス様の信じられず、不思議がっていました。失敗したという思いと挫折感のためです。そのために、イエス様はさらにどんなことを通して復活を理解させようとされましたか。
・41〜43節/
・/

8 焼き魚を食べるイエス様を見て、失敗や挫折感で疑い深い者となっていた弟子たちは、回復しました。イエス様は、公生涯の中で、多くの人々と一緒に食事をされました。それは、人々と親しく交わりをされたということです。復活されたイエス様の食事される姿は、失敗し、挫折感でいっぱいだった弟子たちをどんな気持ちにさせたと思いますか。
・ピリピ2:1〜2/
・使徒2:46/

9 この世に失敗しないで生きた人は誰一人いません。しばしば失敗したと嘆き、落ち込み、恐れ、不安になることでしょう。そんな時、イエス様は私たちを回復させるために私たちを再び尋ねて来てくださいます。復活の主に会わなければなりません。心でイエス様に会えば、どうなりますか。
・ヨハネ20:20/
・ヨハネ16:22/

「命の実を刈り取ろう」

 ペテロがイエス様を三度否んだ時、イエス様がペテロを見つめられました。ルカ22:61。それは、失敗し、挫折したペテロを回復させる眼差しでした。復活のイエス様は、私たちが失敗し、落胆して倒れた場所に来てくださり、私たちに会ってくださいます。どんなに難しい場所にあっても、死に打ち勝ち、復活してくださったイエス様が来てくださり、私たちを回復させてくださいます。今日の学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。ヨハネ16:33。

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