小グループで聖書を学ぶ

52.(詩篇42:1〜11)

「心の門を開いて」
 
 詩篇42篇は逃亡者の祈りです。とにかく困難の中でさまよいながら、苦しみの中で神様を慕い求め、渇いたたましいの叫びの祈りです。表題は、「コラの子たちのマスキール」です。コラの子とは、その時代賛美を担当していた人々です。マスキールとは教訓詩という意味ですが、嘆きの歌です。私たちが体験する心をこの詩人があらわしてくれています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 人が渇望するものは、さまざまですが、聖徒たちが他の何よりももっとも渇望するものは、何でしょうか。その渇望は、どのようにたとえられていますか。
・1~2節/


2 もし聖徒が神様との交わりをなくし、御言葉を聞くことができなくなれば、心が荒くなり、不安定になり、理由もなく怒りだしたりするでしょう。心の中に少しも喜びがなく、何をしても意欲がわかないのです。霊的沈滞が始まっています。詩人は言います。「いつ、私は神の御前に出ましょうか。」いつ、どのような時出るべきですか。



3 この詩人が神様を求めて、渇いていたのは、心が傷つき、たましいが痛んでいたからです。たましいが痛む原因がいつくか考えられます。まず、他の人と意思疎通がなくなる時、分かってもらえない時です。人々がその人を理解できない時、何と批判するでしょう。
・3節/


4 困難が続き神様の御心があらわれない時、信仰のない人は、聖徒たちに「あなたの言う神様ってどこにいるの。あなたを放っておく神様なんて、やめちゃいなさい。」と言います。そんな言葉の攻撃に心が痛んで、涙が流れたような経験がありますか。



5 二つ目は、大切な聖徒の交わりを失う時です。交わりを離れた時心の状態はどうでしたか。聖徒たちが共に集るところのどんな交わりを思い出しますか。(参考/詩篇133:1)
・4節/


6 寂しさと空しさの中で、今はなくなっている聖徒たちとの信仰の交わりを思い出すことで、詩人の痛んだ心はどうされますか。(参考/ローマ1:12,黙示録2:5)



7 三つ目は、心の中にしばしば不安と落胆が生じて、心が痛みます。うなだれは、霊的沈滞から来るものです。何の意欲も力もなく、もうすべて放棄してしまいたい、逃げ出したいという思いに陥り、ただ被害者意識だけが残ります。そのような状態から抜け出すために、どうするようにと詩人は勧めていますか。
・5,11節/


8 渇いて神を慕い求めたたましいが潤い、平安に導かれ、神様の恵みで心が満たされて行くことが、どんな様子にたとえられ。表現されていますか。
・7-8節/


9 心は大きく変化したとしても、すぐに困難な状況が変わるわけではなく、心に神様の恵みが訪れたとしても、困難がすべて解決されることはありません。敵のあざけり、批判は続きます。失望落胆するより、敵を恨むより、神様にどうするようにと詩人は言っていますか。(参考/ヨブ5:8詩篇62:8)
・9-10節/


10 困難のために、神様から離れたり、祈らなかったりするのは、すでに手にしている恵みを奪われることです。サタンがねらうところです。私たちは、解決されない大きな困難のために、小さい恵みを奪われてはなりません。小さな春の訪れが大きな氷をとかし始めるように、小さな恵みによって大きな困難も崩れ始めます。どんなことを感じますか。


「命の実を刈り取ろう」

 イエス様が十字架の死からよみがえり、すべてに勝利してくださいました。ヨハネ16:33。イエス様の十字架を信じた者が、イエス様の勝利を無にしていいのでしょうか。私たちは、困難であればあるほど、神様を待ち望まなければなりません。そうすれば、神様は、私たちの顔に喜びと平安を与え、感謝するようにされます。神様は、神様を待ち望む者をどうしようとされるのですか。あなたは、この神様の愛にどう応えますか。(参考/イザヤ30:18)

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