小グループで聖書を学ぶ

2 神は私の避け所、私の砦(詩篇59:1〜17)

「心の門を開いて」

 詩篇58篇では悪しき者が毒蛇に例えられていましたが、今回の59篇では野良犬に例えられています。詩人の置かれている環境は、犬のような悪しき者に取り囲まれ、命が脅かされている危機にあるということです。しかし、その詩篇の内容は、神に対する信頼に満ちています。どうしてでしょうか。私たちへの適用を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 詩篇59篇の序文を見ると、「ダビデを殺そうとサウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに」とあります。その背景を調べてみましょう。そして、一般的な教訓とする場合、人がどんな状況にある時のことに適用されることですか。
・詩篇59篇序文/
・Tサムエル18:7〜11,19:10〜11/

2 この背景には、サウル王の家来であったダビデがペリシテとの戦いで幾度も勝利し、民の人気を得たという事情があります。嫉妬に狂ったサウル王から命を狙われ、逃げたダビデがサウル王の派遣した暗殺者たちによって家を囲まれている時の思いを詠んだ詩篇です。その悪者によって取り囲まれ、脅されている様子が何にどんなことに例えられていますか。
・6〜7,14〜15節/
・詩篇22:16/

3 嘲りや罵りの声は吠えているようであり、恫喝や責める声は唸り声のようです。私たちが世で生きていると、私たちに対して吠え、唸るような人にも会うかもしれません。私たちに文句を言い、批判する人がいるでしょう。ダビデのように妬まれ、憎まれ、嫌われることもあるでしょう。そんな人に会った時、どんな思いになりましたか。どう対応しましたか。分かち合ってみましょう。



4 私たちに落ち度がなくても憎まれることがあります。私たちが信仰に生きるためにうとまれ、責められることもあるでしょう。そんな時、私たちは、どのように受け止めるのでしょうか。イエス様は、何と教えておられますか。
・ヨハネ15:18/


5 ダビデは、サウル王の敵対行為を度々受けましたが、その度自分には敵対する思いがないことを表明し、報復などしませんでした。それなのに、サウル王が仕向けた暗殺者に取り囲まれました。それはパニックに陥ってしまうような状態です。ダビデの感じた危険は、緊迫して命が脅かされるものでした。その時、ダビデは何をしましたか。
・1〜2節/
・詩篇55:1〜2/

6 問題がある時、嘲られ責められる時、切実に祈り、神様に訴えるのです。ダビデは、自分に落ち度はなく、罪や咎がないのに敵が攻撃して来ると訴えています。これは、自分勝手に正当性を主張しているのではありません。ダビデは、何度もサウル王に対して敵意のないことを示していました。この祈りがなぜ必要だと思いますか。
・3〜4節/
・Tサムエル26:11/

7 危急の時恐れる中で神様に祈り、訴えたダビデ、詩人の心に神様に対する変化が生じてきました。神様がどのようにされる方であることが分かってきましたか。(「迎えに来てくださる」とは、慈愛の神が前もって準備して迎えてくださるという意味です。)自分の神がこのような神であると気付くと、どのような気持ちになるでしょうか。
・10節/


8 私たちは、主の助けの時を知りませんが、神様が必ず必ず助けに来てくださるという事実だけを信じることです。詩人は、悪者を裁き、自分に勝利を与えてくださる神様の絶対的主権を信頼しています。そうした神様への絶対的信頼が最も強く表された言葉が繰り返されています。どんな表現ですか。その表現から受ける印象はどうですか。
・9,16〜17節/


9 ダビデの敵が恐ろしい「吠える犬」として表現されていましたが、神様は難攻不落の砦として表現されています。ダビデや詩人にとって、神様は砦のような存在でした。問題がある時、人に脅かされる時、詩人はどうしていますか。あなたはどうしますか。
・詩篇57:1, 詩篇91:1〜2/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちの避け所はどこにありますか。人生において、様々な問題が起こるでしょう。時には犬ような人々が現れ、うろつき、吠えるかもしれません。しかし、うろたえることはありません。イエス様が言われたように、それはあり得ることだからです。そのような時、とにかくすべきことは、神様に祈り、訴えることです。神様のもとに逃げ込むことです。今日の学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。詩篇91:1〜2。

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