小グループで聖書を学ぶ

9 神が私のたましいになさったこと(詩篇66:1〜20)

「心の門を開いて」

 良いことや感謝なことがあった時に、賛美が鼻歌のように出て来ることがあるでしょう。それを見た人が「何か嬉しいことあるの」と聞かれ、話すことになります。詩篇66篇も、嬉しい、感謝なことがあって賛美が口から出ています。それも喜びと感謝で心が高揚して「神が私のたましいになさったことを」聞いてほしいという気持ちとなりました。何を聞いてほしいのでしょうか。ぜひとも聞きたいです。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 この詩篇の詩人は、すべての人々を神様への感謝の賛美に招待しています。いや、招いているというより、命令形の動詞を用いて、人は神様の御前に出て来て、賛美をささげなければならないと言わんばかりです。賛美への招待の対象は、どんな人々までですか。どうして、このように強く招いているのでしょうか。その理由は、何ですか。
・1〜2節/
・3〜4節/

2 「恐ろしい」と訳されている言葉は、怖いというのでなく「驚きと畏敬の念をおこさせる」という意味です。人々は神様のなさることに驚き、恐れ、偉大な神様の御力に敵までもひれ伏すと言うのです。神様のなさることが敵までもひれ伏し、人々が驚き恐れるのは、いったいどんなことなのでしょうか。
・5〜7節/
・出14:21〜22,ヨシュア3:15〜16/

3 出エジプトという過去の出来事を言っているのに、「さあ、神のみわざを見よ」と現在形で記されています。その場にいるかのように、神様のなさることを喜んでいます。私たちも、イエス様の十字架と復活の出来事をその場にいるように思い、驚き喜びたいのです。そこから、救いの福音を聞いてくださいと証しが出て来るでしょう。次に、詩人は神様を賛美しています。どうしてくださったからですか。
・8〜9節/


4 出エジプトの出来事は、神の民が救いと喜びを体験した出来事として思い出すだけでなく、救われる前の試練や苦難をも思い出させます。イエス様を信じて救われた私たちにも、苦難や試練があります。詩人は私たち信仰者たちが分かるように、試練の意味をどんな例えをもって教えていますか。その例えから、どんなことが分かりますか。
・10節/
・マラキ3:3,Tペテロ1:7/

5 もし、信仰者が自分の経験している試練や問題が何も意味がなく、ただ苦しむだけだと思うなら、とても耐えられません。しかし、詩人は神の民が経験している苦しみを自分の信仰を精錬するものとして理解しています。どのようなことを通して、私たち信仰者を精錬されると言っていますか。具体的なことを考えれば、どんなことになりますか。
・11〜12節/


6 時には、網に捕らえられた魚や鳥のように、問題や試練に捕らえられて身動きできないような経験をしたり、問題や試練が重い荷物となって押しつぶされるようになったり、人々に踏みつけられているような恥辱を受けなければならない場合もあるということです。そのようなことについて、自分が経験したことを分かち合ってみましょう。


7 詩人は、すべての人々が神様を賛美しなければならない理由を話した後に、個人として神様を賛美している理由を証ししています。どのように祈り、その後どうすると言っていますか。
・13〜14節/
・Tサムエル1:27〜28/(参考)

8 神様に供え物を持って行って礼拝をさげるのは、苦しみの時に祈り、そうすると申し出たからでしょう。私たちは、祈ったことを忘れ、祈りを忠実に行うことを忘れてはいないでしょうか。感謝が心に溢れる詩人は、賛美をささげながら、何と宣言していますか。命令形で言われているのは、どんな思いの現れですか。
・16節/

9 証しは自分に起こったことが嬉しくて、感謝で、聞いてほしい、話したいという自然な思いから出て来るものです。あるクリスチャンが「自分が救われて信仰生活をしていることは、自分にとっては分けてあげたい宝物なのです」と家族に話したとという聞いた他のクリスチャンが大変感動しました。あなたは、どのように信仰を体験し、どのように証ししていきますか。


「命の実を刈り取ろう」

 自分が経験した信仰の確かさ、自分が感動した御言葉を話したい、聞いてほしいという思いが他人に伝わります。私たちは、神様に祈るだけでなく、私の祈りを聞いてくださった、祈りに応えてくださったという感謝の思いにあふれて賛美し、礼拝をささげる者です。学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。詩篇71:14〜15。

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