小グループで聖書を学ぶ
4 神のかたちとして(創世記1:26〜31)
「心の門を開いて」
人間とは何か、自分はどうして存在しているのか、何のために生まれているのか、何のために生きていくのかなどと思うことが誰にもあると思います。今日の箇所が答えています。
「御言葉の種を蒔きながら」
1 天地創造の最後は、人の創造です。人の創造が神の創造の最終目的だからです。人はどのように造られたのですか。他の動物の造られ方とどう違うのですか。
・26〜27節/
2 「神のかたち」「神の似姿」と言っても、形状のことではなく、神のご性質や在りかたに似せて造られたということです。他の被造物とは根本的に違う尊厳を持つ存在だということを示しています。人格や知恵、聖さや愛が与えられ、理性や意志、良心や道徳、思想や文化などがあったということです。これまで自分をどう思っていましたか。これからは自分をどう思って生きますか。
・イザヤ43:4/(参考)
3 「人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」という表現は、三位一体の神が暗示されているようです。この複数形は、関係性を表していると言われています。三位一体の神と関係を持つことで、人が人らしく生きるように造られました。神から離れ、神との関係が薄れてしまうと、人は罪を犯すようになり、神の似姿に造られた尊厳が失われてしまいます。どうしたら回復されますか。神はどんなことを備えてくださいましたか。
・エペソ4:23〜24/
・Uコリント5:17/
4 特別に神のかたちとして、神の似姿に造られた人に、特別な役割が与えられました。どんなことが命じられていますか。その意味について、考えてみましょう。字面通りなのでしょうか。それとも、字面通りの意味ではないのでしょうか。
・26,28節/
・ルカ12:42/(参考)
5 被造物に過ぎない人が神に代わって生き物を治め、管理するというのは並大抵のことではありいません。すべての被造物を治め、管理するためには、能力と知力と労力が必要です。そのために神のかたちとして、神の似姿に造られました。人は、この役目をどのように果たそうとしなければなりませんか。あなたは、家庭生活や社会で学び、働くことについてもそのように考えていますか。
・Tコリント4:2/
・Tペテロ4:10/
6 人は、この世の生き物の主人でもなければ、自然の所有者でもありません。世の被造物を神の御心に従って管理する管理者に過ぎないことを忘れてはなりません。人も造られたもの、神の管理人に過ぎないのに、自らが支配者になりたい、神のようになりたいという罪の思いにとらわれると、罪に陥るようになります。そうなると、人は自然や生き物についてどうするようになりますか。他人に対しては、どのようになりますか。
・イザヤ50:7/
・ルカ22:24/
7 神は、人をどうされましたか。そのために、どんなことを命じられましたか。そのために、何をくださいましたか。しかし、現代社会では、このことがどのようになっていますか。それは、どうしてだと思いますか。
・28節前半/
・29節,創世記9:3/
8 特に神の祝福を受け、神のかたちとして造られた人が、神との継続的な交わりを持ちながら被造物を治めていかなければなりません。イエス様を信じて救われて、神のかたちを回復した者には、世で使命があります。回復されたその姿を見せ、回復の道を知らせなければなりません。管理者としての報告をするように神に聞かれたなら、どう答えますか。
・マタイ25:15,19〜21/(参考)
9 神は、人を造られた第六日に「それは非常に良かった」と言われました。「非常に」が加えられています。神は人の創造をとても喜ばれ、人を祝福されました。人は、神の造られた天地の中で祝福を受けて生きていくのですが、その祝福をどれほど認識するかで、人生が違って来ます。神に造られ、祝福された者だと認識していますか。神のかたちとして造られ、似姿に造られた祝福について、どう応えて生きますか。
・31節/
「命の実を刈り取ろう」
人は、神のかたちとして造られた祝福があります。生き生きと生きるこができるように備えられる祝福を受けました。地と生き物を治め、管理するという祝福をいただきました。人は、罪によってその神のかたちを失い、祝福を失いました。しかし、イエス様の十字架による救いが、それを回復させてくださいました。神の愛を回復し、神様の似姿を求めて生きて、成長します。学びを通して与えられた気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。エペソ4:23〜24。
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