小グループで聖書を学ぶ

23 主が告げられたとおりに(創世記12:1〜4)

「心の門を開いて」

 ジョン・バンヤンの天路歴程の中で、巡礼のクリスチャンが油断して脇道に外れ、絶望の巨人に捕まってしまうというところがあります。私たちの人生には失敗や中断ということが起きます。その時には、後悔したり、悩んだり、落ち込んだりします。そんな時私たちが覚えなければならないことは、神が私たちをどうしてくださるかということです。そのことをアブラハムの人生から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 アブラハムがまだ若かった時、神からアブラハムに呼びかけがあり、アブラハムの父テラは、家族を連れてカナンへの旅に出ました。途中のハランでどうなりましたか。そして、アブラハムは、ハランで何歳になっていますか。
・ネヘミヤ9:7,創世記11:31/
・4節/

2 父テラが留まったので、仕方なくアブラハムも留まってしまったと思われますが、召しを受けたのはアブラハムです。従順の中断、失敗です。このままアブラハムは、ハランに埋もれ、偶像に仕えるようになるのでしょうか。神はどうしてくださいましたか。
・1節/


3 アブラハムは、75歳で再び、神の召しを受けます。アブラハムは神の召しに従うことに失敗し、旅を中断してしまいましたが、神のご計画は変わりません。再び呼び出してくださいました。始めの応答に失敗しても再び召され、呼びかけられるという人は、聖書の中でほかにもいます。その例を見て、感じることは何ですか。
・ヨナ3:1〜2/
・マタイ26:74〜75,ヨハネ21:17/

4 アブラハムのことは、彼の信仰の子孫である私たちの人生にも当てはまることです。私たちが失敗したり、中断したりしたとしても、私たちを救い、信仰の人生に呼んでくださった主は、繰り返し呼びかけ、召してくださいます。アブラハムの二回目の召しは、一回目とは違いました。どんなことが伴っていたのですか。その内容は、アブラハムにとって、どうですか。
・2〜3節/
・創世記11:30/

5 まだ子のいないアブラハムにとって、この祝福がどれほど励ましとなったことでしょうか。この祝福は、アブラハム一人に留まりません。アブラハムに与えられたこの約束は、私たちにどのように関係しているのですか。私たちは、どういう者なのですか。
・ガラテヤ3:8〜9,14/


6 神に従うというと、苦しさや厳しさをイメージするかもしれませんが、こんなに素晴らしい祝福があるのです。召しに従って行く、御言葉への従順には、祝福がともなうのです。祝福があるから、聞き従って行くことができるのです。アブラハムのことを通して、私たちにある何かの中断や失敗に対しても、神はどうしてくださると思いましたか。
・Uテモテ1:9/(参考)


7 アブラハムは、最初から信仰の人であったわけではなく、召しを受けても忠実であったわけでもありません。でも、神はご自分の計画のために繰り返しよびかけてくださいました。同じように、神は、私たちの信仰と従順を通して、ご計画をなしてくださいます。ですから、召しへの応答が重要です。驚くべきことは、アブラハムの神の召しへの応じ方です。どんな応答ですか。それを知って受けた感想を分かち合ってみましょう。
・4節/
・ヘブル11:8/

8 召しに従うことに失敗して、ハランで中断したまま何十年も経ちましたが、今度は徹底して従順です。私たちが神の召しに対して従順の一歩を踏み出す時、新たな祝福の人生が始まります。祝福が伴うとしても、今いるハランの地を出て見知らぬ土地へ行くことは大変なことです。ですから、どんなことが強調されていますか。
・1節/


9 「あなたの〜を出て行く」ことが強調されているだけでなく、「わたしが示す地へ」「告げられたとおりに」も強調されています。実際には、「どこに行くのかを知らず」にです。あなたにとって、神が自分に示された地とはどんなことですか。神の呼びかけ、召しに対してどう応答しますか。
・1節, ヘブル11:8/


「命の実を刈り取ろう」

イエス様を信じて救われた私たちも、天国を目指しての天路歴程を旅するクリスチャンです。巡礼の旅に必要なことは、神の呼びかけに従順に、神の示す道を進むことです。私たちも、アブラハムのように神の呼びかけに応じながら神の導きを経験する人生を生きることを願います。気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。ヘブル11:8。

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