小グループで聖書を学ぶ

19 罪を覆ってくださる神(創世記9:18〜29)

「心の門を開いて」

 何かを成し遂げた後にうっかり失敗してしまう、困難を乗り越えたのにまさかの間違いをしでかしてしまうということがあります。大きなことを成し遂げ、困難を乗り越えた後、油断し、警戒を怠るからです。なんと、洪水の裁きから救われたノアが、失態をさらしてしまいます。どうしてなのでしょうか。ここから何を学ぶことができるのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 洪水の裁きの後、ノアの家族の新しい歩みが始まり、人類が増え広がることになります。こうして義人と言われたノアは、神の祝福を受けました。信仰の人ノア、神の御言葉に忠実に従うノア、神に守られ、助けられたノア、そのノアの最後の記録がこの事件、失態です。どんなことが起きたのでしょうか。
・18〜21節/
・20〜21節/

2 あのノアがこの失敗、失態です。ノアは、一年間も箱舟の中で洪水から生き残ることできました。不安と恐れを抱きながらも、新しい大地で作物を植え、実りを収穫することができました。それで、喜んで、ほっとしたのです。油断したのです。私たちも、何かを成し遂げた後にうっかり失敗したとか、困難を乗り越えたのにまさかの間違いをしでかしてしまったということがありませんか。
・Tコリント10:12/


3 酔って自分が分からないほど酒を飲んだノア、心の空しさや寂しさなどから逃れようとして、意識的に酒に酔うために多く飲んだと考えることができます。家族の外は誰もいないからです。洪水以前のすべてを失ったからです。どれほど喪失感が大きかったことでしょう。ふと、不安や空しさを感じる時があったでしょう。そのために、どうしようとして酒に酔ったのですか。
・エペソ5:18/


4 人は寂しさや悲しみ、空しさや喪失感を満たそうと、神ではない何か代替品を探そうとします。これが中毒です。お金、権力、異性、人、物、仕事、遊び、あらゆるものを代替品としようとします。しかし、真の心の満たしを得ることはできません。かえってその奴隷になってしまうからです。そのような経験はありませんか。どうすべきですか。
・伝道5:19〜20/
・ローマ13:14/

5 このノアの恥ずかしい姿が、息子のハムに見られてしまいました。ハムは、父の醜態を兄弟たちに知らせました。「見て」という言葉には、「見て楽しんだ、見てあざ笑った」という意味があります。告げるという言葉にも、「公表する、暴露する」という意味があります。このハムの行為に、どんな罪の性質が現れていると思いますか。
・22節/


6 社会の中でも、人の失敗や弱点を話題にして楽しみ、吹聴してその人を故意に貶めようとする罪の姿がよくあります。そのようにして、自分の反発や不満の溜飲を下げようとしたり、自分を高めようとする習性が人にはあります。そういう場面に出会ったことがありますか。どのようにされましたか。
・箴言10:12 ,17:9 /(参考)


7 ハムが父の醜態を告げるのを聞いた、兄弟のセムとヤフェテは、ハムとは違う選択、対応を取りました。その結果、セムとヤフェテは、祝福を受けました。二人の行動には、どんな意味がありますか。ハムの行動とその意味と比較してみましょう。
・23,26〜27節/


8 セムとヤフェテの二人は、父ノアの過ち、罪を覆いました。「覆う」という言葉は、赦しの教理の中心です。罪を覆うことは、罪を否定することではなく、むしろ神によって罪が取り扱われたため、見えないようにされるということです。聖書には、何によって罪が覆われると繰り返し教えていますか。どうしてそう言えるのですか。
・詩篇32:1〜2/
・箴言17:9,10:12/

9 義人ノアですらこのように失敗し、失態をさらしてしまうのですから、私たちはもっと失敗し、過ちを犯し易い者です。私たちが神の恵みと祝福を受けて生きる鍵は、神によって罪を覆われることにあります。恵みと祝福を受けた者として、どうように生きますか。
・ローマ4:7/
・Tペテロ4:8/(参考)

「命の実を刈り取ろう」

 この事件をもってノアの人生の記録が終わっています。どのくらい残念なことでしょうか。義人と呼ばれ、ノアの箱舟と言われる大業をなしたのに、最後の記録はこの失態です。私たちは、今後どう生きるのでしょうか。私たちは、終わりをよく結ぶ人生となりたいと願います。今日の学びを通して与えられた気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。Uテモテ4:7〜8。

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