小グループで聖書を学ぶ
5 私はキリストではありません(ヨハネの福音書 1:19〜34)
「心の門を開いて」
人類が月に立ったことは確かに驚くべき出来事でした。けれども、それ以上に比べものにならない出来事が、二千年前に起こりました。イエス・キリストがこの地に来られ、地上を歩まれたことです。ところが当時、多くの人はその方を見分けることができませんでした。今日の箇所は、そんな中でバプテスマのヨハネだけが、なぜイエス・キリストを正しく指し示せたのかを描きます。鍵になるのは、彼の告白―「私はキリストではありません」、そして彼の心にあった“荒野”です。今日の箇所を丁寧にたどりながら、私たちの耳と目がどこで開かれていくのかを見つめていきましょう。
「御言葉の種を蒔きながら」
1 19〜20節で、人々はヨハネに「あなたはだれか」と問いただします。
ヨハネはそこで、まず何を否定し、どんな言葉で自分の立ち位置を明確にしていますか。
・ヨハネ1:19〜20/
2 21節では質問が続きます。「エリヤか」「あの預言者か」。人々がこう尋ねた背景には、どんな旧約の期待がありましたか。そしてヨハネは、それらの期待にどう答えていますか。
・ヨハネ1:21/
・マラキ4:5/
・申命記18:15/
3 23節でヨハネは、イザヤの言葉を引用して自分を説明します。
この箇所はヨハネの働きをどのように言い表しているでしょうか。
・ヨハネ1:23/
・イザヤ40:3/
4 25節の問いは、少し空気が変わります。「キリストでもないのに、なぜバプテスマを授けるのか」。この問いに対して、26〜27節でヨハネは何を強調していますか。特に「あなたがたの中に」「知らない方」「履き物のひも」という言葉に注目してみましょう。
・ヨハネ1:25〜27/
5 29節でヨハネは、イエス・キリストを見て決定的な宣言をします。この箇所は、イエス・キリストのどのような働き(使命)を指し示しているでしょうか。
・ヨハネ1:29/
・イザヤ53:6〜7/
6 30節でヨハネは、イエス・キリストについて「私にまさる方」「私より先におられた」と語ります。誕生の順や人々の人気とは逆に、ヨハネがこう言い切れるのはなぜだと感じますか。あなたがこの言葉から受ける印象はどんなものでしょうか。
・ヨハネ1:30/
7 31〜34節で、ヨハネは「私自身もこの方を知りませんでした」と二度語りつつ、それでも確信して証しできた根拠を説明します。ヨハネの確信を支えた“しるし”は何でしたか。また、そのしるしを与えたのは「だれ」で、目的は何だと本文は述べていますか。
・ヨハネ1:31〜34/
8 ヨハネは、人々の期待がどれほど強くても、自分を大きく見せる方向へ流されませんでした。あなたがこの姿勢から学ばされるのはどの部分でしょうか。
・ヨハネ1:19〜21/
・ヨハネ1:26〜27/
9 今日の箇所では、ヨハネの内側に“荒野”があり、そこに「余地」があったことを示します。荒野とは、何もない場所です。人間の力で、水一杯、米一粒さえ生み出せないことを思い知らされる場所です。だからこそ、神だけに頼るしかない場所です。
あなたの生活の中で意識して“荒野(神の前にひれ伏す余地)”を備えたい場所はどこでしょうか。どのように備えたいですか。
・ヨハネ1:23/
・ルカ1:17/
・詩篇46:10/
「命の実を刈り取ろう」
イエス・キリストが来られたその日、多くの人は見分けられませんでした。しかし、バプテスマのヨハネは自分を高くせず、「私はキリストではありません」と告白し、ただイエス・キリストだけを指し示しました。彼が持っていたのは、神の声を聴き分け、御霊の働きを見分ける“幸いな耳と目”であり、その出発点は心の“荒野”でした。
今日の学びで心に残った御言葉と気づきを分かち合い、私たちの内にも主のための余地が整えられるように、互いのために祈り合いましょう。ヨハネ1:19〜34
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