小グループで聖書を学ぶ
23 神の子どもとなる特権(ヨハネの福音書 1:9〜13)
「心の門を開いて」
人は本来、創造主である神と同じ身分に立つことはできません。神は創造主であり、私たちは被造物です。この違いは、どれほど時代が進んでも、どれほど人間が力を持ったとしても、決して埋まることはありません。ところが、今日の本文は、その常識を根底から揺さぶる言葉を語ります。それは、「神の子どもとなる特権」が、人に与えられた、という事実です。人が神になるのではありません。しかし、神が人を「子」として迎え入れてくださる。この出来事が、私たちの存在、価値、生き方をどのように変えるのでしょうか。御言葉そのものに耳を傾けながら、丁寧に見つめていきましょう。
「御言葉の種を蒔きながら」
1 下記の箇所では、イエス・キリストが「すべての人を照らすまことの光」として来られたことが語られています。この「光」は、どのような存在として描かれているでしょうか。また、この光は、どこまで、誰に向けて差し出されている光でしょうか。
・ヨハネ1:9
・イザヤ49:6
2 10節によると、「世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった」と記されています。なぜ造られた世界が、創造主を認識できなかったのでしょうか。この御言葉は、人間のどのような姿を映し出しているでしょうか。
・ヨハネ1:10
・ローマ1:21
3 11節では、「自分のところに来られたが、自分の民は受け入れなかった」と語られています。ここで言われている「自分の民」とは誰を指し、なぜ受け入れなかったのでしょうか。本文は、その理由をどのように示しているでしょうか。
・ヨハネ1:11/
・マタイ23:37
4 12節では、「受け入れた人々」と「信じた人々」が並べて語られています。本文の中で、「受け入れること」と「信じること」は、どのような関係として描かれているでしょうか。二つの言葉の使われ方に注目してみましょう。
・ヨハネ1:12/
・ヨハネ3:16
5 12節後半には、「神の子どもとなる特権」が与えられたと語られています。ここで用いられている「特権」という言葉は、本文の文脈の中で、どのような重みを持っているでしょうか。単なる恵以上に、どのような意味が込められているでしょうか。
・ヨハネ1:12/
・ローマ8:15?17
6 13節では、「血によってでもなく、肉の欲によってでもなく、人の意志によってでもなく」と、三つの否定が重ねられています。本文は、神の子どもとなることの源をどこにあると明確に示していますか。
・ヨハネ1:13/
・エペソ2:8〜9
7 本文全体を通して見ると、神の子どもとなる特権は、人が何かを成し遂げた結果として与えられたものではありません。この事実は、放蕩息子のたとえとどのように重なって見えるでしょうか。
・ルカ15:20〜24
・ローマ5:8
8 神の子どもとされることは、同時に「子どもらしく生きる」ことへと招かれていることでもあります。本文12〜13節は、特権と責任の関係について、どのような方向性を示しているでしょうか。
・ヨハネ1:12〜13
・マタイ5:16
9 ここまでの本文を振り返るとき、「神の子どもである」というアイデンティティは、信仰生活のどの部分を支える土台になっていると言えるでしょうか。もしこの理解が揺らぐとき、私達の信仰生活にはどのような影響が生じるでしょうか。
・ガラテヤ4:6〜7
・Tヨハネ3:1
「命の実を刈り取ろう」
私たちは、生まれながらに神の子どもだったのではありません。また、自分の努力や正しさによって、その身分を得たのでもありません。ただ恵みによって、神が私たちを子として迎えてくださいました。この特権は、私たちを誇らせるためではなく、神の子どもらしく生きる歩みへと導くために与えられています。今日の学びを通して示されたこと、心に残った御言葉や気づきを分かち合い、神の子どもとして歩むために、互いのために祈り合いましょう。
・ヨハネ1:9〜13
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